自分を割り当てよ

自分がこの世で見たいと願う変化に自分自身が”生る”




新・人生文化「 美しさの人生様式( ペルラ・マニエラ )”perla maniera” 」の新時代!!



備忘録 : 生きるためのモダンテクニック  レリバント


・・・ 個の人生世界の差異の総体である世界人生において、

人間に関係づけられうる期待というもに束ねられる我々。

世界人生とつながる人生世界の個として、ある人そのものを指すのではなく、

コミニュケーション連関の中に現れ出たる我々の像を指している世界人生の期待というものに、

我々がコミニュケーション的範疇にその然るべきその期待に応えうる像として、

そのように期待が向けられる存在として見なされているものとして、

いわば認識・判断する人間としての我々の関係系である照準の枠組みにおいて、

期待充足的に行為ができるような位置を我々に割り当てられている。・・・


人生世界に個として言い換えれば、ありとあらゆる能力を自ら可能な限り解放し、

主体としての個の能力を最大限へと自発的に高めることであり、

パフォーマンスと発達を促進させ、期待充足的に行動ができることにある。

これによって、現実には個の人生世界の差異の総体である世界人生とのつながりにおいて、

自己理解(了解)と他者理解(了解)との接続にコミニュケーション連関することであり、

対象を認識し解釈して判断したり、現実を秩序づけたり、意味ある観察や考察などを行ったり、

対象をみたり理解するための視点や対象へのアプローチと視野などに結び付く

これら期待充足的に行為ができる関係系の照準枠として枠組みが用いられるというわけである。


我々の認識や判断は、対象のそれ自体を直接に認知評価するのではないだろうし、

認識や判断を助けるための基準になる糸口などをはじめ、

行為(行動)のための具体的な拠り所となる手掛かりなどや、

枠組みとなる様々な要因とコミニュケーション連関など、

このような一連したものに関連して認識・判断が実際なされているのである。

そうしてみると、この関係系の照準枠としての枠組みである準拠枠というものは、

実際の我々にとっては新たな環境と考え方や適応・順応などに対する方向付けともなり、

諸々のデキる人と諸々の状況、これらに明るく照らし示している”明らかの信号”なのである。


それは、生る(なる)生り(なり)の人生に生きるための”一筋の道”としてあり、

我々は、”とある位置”を見失わないように、このような枠組みに独自の方法をもつことである。

期待充足的に行為ができるような位置を我々に割り当てられているということは、

逆に、自分をどのように割り当てるか(どのように割り当てられるか)ということであり、

その様な中に”刻印”として存在する”独自の方法”である”一筋の道”なのだとすれば、

”カテゴリーミステイク”(範疇の錯誤)などと違って、一筋縄ではいかないものなのである。

いわゆるコミュニケーション範疇のコミュニケーション連関の中において、

レリバント ”relevant” なものに見なされるこの枠組みだということになるのであるからだ。


・・・ そこで問いを煮詰めるならば、今日的な意味を帯びている現実の問題に直結する

その検討中の課題のそれらに実質的に関係・関連(関連性)があるレリバントなものとして、

そもそも基本的に”その人にとって意味がある”レリバントなものとして、

そして興味・関心があるレリバントなものとして、また自分に合うレリバントなものとして、

すなわち自分に割り当てるものの差を示すレリバントなものとして、

自分で区別でき見分けることができるレリバントなものとして、示差的・弁別的なのである。

一筋の煙みたいな気持や気分など一筋光でいかなくもないような範疇にあるのだが、

一筋の道は一筋縄ではいかない”留まざるを得ない境域”、デキる人とデキる状況にある。・・・



死ぬ時が来るならば、その時は自分の”最高潮”に人生最大の感動を覚えることができればいい。

 
     
 

   
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